大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和55年(あ)273号 判決 1981年4月16日

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

(上告趣意に対する判断)

弁護人佐瀬昌三の上告趣意のうち、憲法一九条、二一条違反をいう点は、実質は単なる法令違反の主張であり、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

(職権による判断)

しかしながら、所論にかんがみ、職権をもつて調査すると、原判決が維持する第一審判決の認定事実の要旨は、

「株式会社月刊ペン社の編集局長である被告人は、同社発行の月刊誌『月刊ペン』誌上で連続特集を組み、諸般の面から宗教法人創価学会を批判するにあたり、同会における象徴的存在とみられる会長池田大作の私的行動をもとりあげ、第一 昭和五一年三月号の同誌上に、『四重五重の大罪犯す創価学会』との見出しのもとに、『池田大作の金脈もさることながら、とくに女性関係において、彼がきわめて華やかで、しかも、その雑多な関係が病的であり色情狂的でさえあるという情報が、有力消息筋から執拗に流れてくるのは、一体全体、どういうことか、ということである。……』などとする記事を執筆掲載し、また、第二 同年四月号誌上に、『極悪の大罪犯す創価学会の実相』との見出しのもとに、『彼にはれつきとした芸者のめかけT子が赤坂にいる。……そもそも池田好みの女性タイプというのは、① やせがたで ② プロポーションがよく ③ インテリ風―のタイプだとされている。なるほど、そういわれてみるとお手付き情婦として、二人とも公明党議員として国会に送りこんだというT子とM子も、こういうタイプの女性である。もつとも、現在は二人とも落選中で、再選の見込みは公明党内部の意見でもなさそうである。……』旨、右にいう落選中の前国会議員T子は創価学会員多田時子であり、同M子は同会員渡部通子であることを世人に容易に推認させるような表現の記事を執筆掲載したうえ、右雑誌各約三万部を多数の者に販売・頒布し、もつて公然事実を摘示して、右三月号の記事により池田大作及び創価学会の、四月号の記事により池田大作、多田時子、渡部通子及び創価学会の名誉を毀損した。」

というのであり、第一審裁判所は、右の認定事実に刑法二三〇条一項を適用し、被告人に有罪の判決を言い渡した。

そうして、原審弁護人が、「被告人は、宗教界の刷新という公益目的のもとに公共の利害に関する事実を公表したものであるから、事実の真実性の立証を許さないまま名誉毀損罪の成立を認めた第一審判決は審理不尽である。」旨主張したのに対し、原判決は、被告人の摘示した事実は、創価学会の教義批判の一環、例証としての指導者の醜聞の摘示であつたにしても、池田大作らの私生活上の不倫な男女関係の醜聞を内容とすること、その表現方法が不当な侮辱的、嘲笑的なものであること、不確実な噂、風聞をそのまま取り入れた文体であること、他人の文章を適切な調査もしないでそのまま転写していることなどの諸点にかんがみ、刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたらないというべきであり、したがつて、いわゆる公益目的の有無及び事実の真否を問うまでもなく、被告人につき名誉毀損罪の成立を認めた第一審判決は相当である、として右主張を排斥した。

ところで、被告人が「月刊ペン」誌上に摘示した事実の中に、私人の私生活上の行状、とりわけ一般的には公表をはばかるような異性関係の醜聞に属するものが含まれていることは、一、二審判決 の指摘するとおりである。しかしながら、私人の私生活上の行状であつても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによつては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたる場合があると解すべきである。

本件についてこれをみると、被告人が執筆・掲載した前記の記事は、多数の信徒を擁するわが国有数の宗教団体である創価学会の教義ないしあり方を批判しその誤りを指摘するにあたり、その例証として、同会の池田大作会長(当時)の女性関係が乱脈をきわめており、同会長と関係のあつた女性二名が同会長によつて国会に送り込まれていることなどの事実を摘示したものであることが、右記事を含む被告人の「月刊ペン」誌上の論説全体の記載に照らして明白であるところ、記録によれば、同会長は、同会において、その教義を身をもつて実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であつて、公私を問わずその言動が信徒の精神生活等に重大な影響を与える立場にあつたばかりでなく、右宗教上の地位を背景とした直接・間接の政治的活動等を通じ、社会一般に対しても少なからぬ影響を及ぼしていたこと、同会長の醜聞の相手方とされる女性二名も、同会婦人部の幹部で元国会議員という有力な会員であつたことなどの事実が明らかである。

このような本件の事実関係を前提として検討すると、被告人によつて摘示された池田会長らの前記のような行状は、刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたると解するのが相当であつて、これを一宗教団体内部における単なる私的な出来事であるということはできない。なお、右にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたるか否かは、摘示された事実自体の内容・性質に照らして客観的に判断されるべきものであり、これを摘示する際の表現方法や事実調査の程度などは、同条にいわゆる公益目的の有無の認定等に関して考慮されるべきことがらであつて、摘示された事実が「公共ノ利害ニ関スル事実」にあたるか否かの判断を左右するものではないと解するのが相当である。

そうすると、これと異なり、被告人によつて摘示された事実が刑法二三〇条ノ二第一項にいう「公共ノ利害ニ関スル事実」に該当しないとの見解のもとに、公益目的の有無及び事実の真否等を問うまでもなく、被告人につき名誉毀損罪の成立を肯定することができるものとした原判決及びその是認する第一審判決には、法令の解釈適用を誤り審理不尽に陥つた違法があるといわなければならず、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決及び第一審判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて、刑訴法四一一条一号により原判決及び第一審判決を破棄したうえ、さらに審理を尽くさせるため、同法四一三条本文により本件を東京地方裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(団藤重光 藤﨑萬里 本山亨 中村治朗)

弁護人佐瀬昌三の上告趣意

第一点 原判決は、犯意の点について判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、刑事訴訟法第四一一条第三号に則り破棄されるべきである。

原判決は、一審判決が挙示引用の各証拠を総合し、犯意があつたことを認定したことは首肯できるとし、これに反する被告人の一、二審における供述、捜査官に対する各供述調書の供述記載は、たやすく措信しがたい。

しかも右引用の関係証拠によれば、被告人にたとえ宗教界を刷新する意図があつたにしても、池田大作らの社会的評価を低下させるおそれのある原判示摘示事実の内容を十分認識して、原判示のように執筆、掲載、刊行、販売、頒布することを認容していたことが認められるから、被告人に名誉毀損の犯意があつたことを明認するに十分であり、宗教界刷新の目的があつたからといつて、その犯意がなかつたとはいえないとした。

(一) しかし被告人の本件執筆活動は、宗教評論家の任務として、正に右判示の如く宗教界刷新の目的を以つて憲法保障するところの思想及び表現の自由に基き、とくに創価学会において池田大作らの信奉する日蓮正宗の教義教説が誤謬であり、邪教でさへあると云う公正な批判を展開するために、その有力な一例証として本件事実摘示をなしたものであつて、何ら池田大作ら個人の名誉侵害そのものを意図したものではない。

このことは被告人に対する捜査官の取調べ以来、一、二審の審理を通じて強く被告人の主張してきたところである。

なるほど原判示の如くその表現方法が侮辱的、嘲笑的であるやに読めるものがあつたとしても、それは摘示事実の内容・性質上自らかもし出された勇み足であつて、当該教義教説批判のためペン誌三、四月号で使用した合計三九、一六四の文字中僅か一、一八八文字に表われた片言隻句をとらえ、早計に犯意ありと推断することは判決に影響を及ぼすべき重大なる事実誤認と云うべきである。

(二) 次に、仮りに原判示の如く、摘示事実の掲載、発刊等に対する認容即犯意なりとしても、本件では被告人がとくにその処罰阻却事由を積極的に認識していたと云う点で、故意責任の成立がなかつたと解すべきである。

すなわち昭和二二年法律第一二四号を以つて、刑法第二三〇条ノ二が追加され、公然名誉毀損事実の摘示が行われても、事後においてそれが公共の利害に係る事実(公共性)、公益を計る目的で(公益性)、真実のことを(真実性)指摘したにすぎないと云う事実証明がなされれば、それを罰せずとして放任されることとなつたものである。

したがつて事前においても被告人の主観においてこの罰せずの事由として証明されるべき事実を認識していたとしたならば、原理的に故意責任の成立は否定されるべきである。

すなわち故意の問題に関連し、刑法第二三〇条ノ二の機能的意味が左の二点で考えられる。

(一)は、一応名誉毀損罪に該当した所為も、事後の裁判で、その公共性、公益性及び真実性が証明されれば、罰せられないと云うことであり、これは刑法第二三〇条ノ二本来の機能で、直接故意の問題には関係がない。

(二)は、事前の問題として、行為の当時右証明される事実的要件の存在を認識した場合、或はその存在を信ずべき正当な事由の存したときは、故意の問題となり、期待可能性の責任理論に結合する場合、故意責任の阻却を認めるべきこととなる。

しかして本件では原審の羽柴増穂証言並びに被告人の供述に明らかな如く、右事実の証明があつたと云い得るばかりでなく、少くとも当時被告人の主観においては、証明すべき右事実的要件が存在しているものと認識し、且つしかく認識すべき正当な事由のあつたことが推認できる。

しかるに原判決が全然この点に対する審理判断を尽すことなく、理由不備のままこれを有罪に処する結果となつたことは、判決に影響を及ぼすべき事実誤認であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるので、刑事訴訟法第四一一条第三号に則り破棄されるべきである。

第二点 原判決は、刑法第二三〇条ノ二の解釈適用を誤り、被告人の摘示事実が公共性なしとして、目的の公益性や事実の真実性につき全然審理判断を遺脱し、直ちに名誉毀損罪に問疑処断したことは、法令違反であり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、刑事訴訟法第四一一条第一号に則り、これを破棄せらるべきである。

元来国家的に民主々義の確立を計るには、社会的に憲法第一九条や第二一条に基き思想や言論表現の自由を不可欠なものとして保障し、個人的に刑法第二三〇条に基く名誉毀損罪の成立も自ら制約されることとなり、前記の如く「事実の証明」により名誉毀損罪を「罰せず」とする場合を認めるに至つたのが、この改正刑法第二三〇条ノ二である。

固よりこの立法の経過、改正の趣旨等よりして、右に云う「罰せず」の意味が、違法性、可罰性ないし責任性、構成要件該当性等の何れの阻却なるかは問題であるとしても、この阻却事由としての「事実証明」の内容が、前掲の如く事実の公共性と真実性、目的の公益性に係わるものであることは明白である。

したがつて、右事実証明としての公共性、公益性、真実性の主張に対し、刑事訴訟法第三三五条第二項上有罪判決をなすためには、何ら判断して行くべきかが問題である。

思うにこの三者は、それぞれ個別的要目ではあるが、すべて摘示事実の根本的性状が基調をなし、公共性、公益性ないし真実性は、結局内実的に密接不可分の関連性を有し分離判断は適当でない。

かくして月刊誌「ペン」の如き一般新聞紙同様公企業ではないが社会の公器としてそれ自体公共の利害に密接な関係があるため、本来公共性を有し、とくに本件宗教論評活動によつて公共性の色彩が顕著であることは、原審控訴趣意書第一点二頁ないし六頁に強調した通りである。

しかるに原判決が、単純にこの公共性を否定したことは誤謬であるばかりでなく、そのため他の公益性や真実性の点を審理するを要せずとなし、右の如き三者の綜合的審理判断を尽さず、理由不備のまま刑法第二三〇条ノ二の適用を排除したことは、前記昭和二二年法律第一二四号による法改正の精神に違背し、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認のまま有罪に処する結果となり、これを破棄しなければ著しく正義に反するので、刑事訴訟法第四一一条第一号に則り破棄されるべきである。

第三点 原判決は、憲法第一九条、第二一条に違反し、刑事訴訟法第四〇五条第一号、第四一〇条第一項に則り破棄されるべきである。

(一) 本件捜査当初より被告人の一貫した主張は、原判示文筆活動が憲法第一九条や第二一条で保障された思想や言論出版その他表現の自由に基き、宗教評論家として正当な業務意識の下に地田大作らの教養批判の一例証として偶々男女関係の摘示事実を取上げることも合法的な行為であると信じてきたことである。

ところで原判決は、判示所為は憲法第一三条などに基き公共の福祉のための制約を受け、犯罪性を帯びるものの如く解されたが、それは原審の控訴趣意書第五点一二頁以下でも述べた如く、憲法の人権擁護上私的な名誉権と公的な言論、表現の自由権との権利衝突における二者択一的評価を誤り、前者が後者を制限すべきことを合理的に納得せしむるに足る正当な事由につき何ら証拠判断を示すこともなく、欧米の自然法的、フランスの天賦人権論的根源をもち、立憲民主国家においては最大限に尊重されるべき思想、表現の自由そのものを制圧し、本件名誉毀損罪の成立を認めたものであつて、正に右憲法第一九条並びに第二一条に違背するものと云うべきである。

(二) なおまた右公私法益調節立法たる刑法第二三〇条ノ二第三項は、公務員及び公選公務員候補者に対する世論批判を強化するため、その名誉侵害の摘示事実については、単にその真実性の立証のみを以つて、罰しないこととした。

この立法精神からすれば、右公務員などと同様に広く世の批判にさらしてなお堪えられることを要する社会的地位の高い公人、例えば宗徒一千万人の師表「池田本仏」とまで崇めさせ創共十年協定を結び、公明党はもちろん共産党にさへ影響力をもつた池田大作会長ほどの宗教界・政界の公人に対する評論批判に対しては、憲法上その言論、表現の自由が、普通人に対する場合以上により広く、厳しく是認されて行くべきである。

しかるに原判決はこの点でも、むしろ正義の公僕とも云うべき本件被告人を追求することに急であつて、刑法第三五条や刑法第二三〇条ノ二の適用上、「罰せず」の場合につき何ら斟酌することなく、たやすく刑法第二三〇条に問擬し名誉毀損罪で処断したことは、憲法第一九条、第二一条に違反するものとして、刑事訴訟法第四〇五条第一号、第四一〇条第一項に則り当然破棄されるべきである。第四点 原判決は、創価学会に対する名誉毀損罪の成立を認めた点において、先ず刑事訴訟法第四〇五条第三号の判例違反があり、同法第四一〇条第一項により破棄せらるべきであり、また同法第四一一条第一号の判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するので破棄を免れない。

(一) 原判決は、その肯認せる一審判決を支持し池田大作らに対する名誉毀損が即宗教法人創価学会に対する名誉毀損とするものではなく、学会に対する名誉毀損の事実として、被告人が「月刊ペン」の三、四月号に「四重五重の大罪犯す創価学会」、「極悪の大罪犯す創価学会の実相」との各見出しのもとに、その例示として創価学会長池田大作・同会婦人部幹部多田時子、同渡辺通子らに関する不倫な男女関係の醜聞である原判示各掲載記事を具体的に摘示して、それが同会々長、幹部らを中核として組識された創価学会に対する名誉毀損に該当するとしているもので、「罪となるべき事実」の摘示としては必要且つ十分であると判示した。

しかし「大罪犯す創価学会」にいわゆる大罪なるものの具体的内容として、単なる幹部男女間の醜聞がこれに該当すると云うのであつては、いささか正鵠を失し、もつと次元の高い学会そのものが犯し得る性質のものを捉らいべきである。すなわち組織の問題ではなく、宗教法人として信奉する教義教説とその実践活動に対する誹謗の類でなければならない。単な幹部男女間の醜聞の如きはあくまでプライバシーの個人問題にすぎず、それが即学会の名誉毀損となり難い。ただ右の両者が結びつくのは、さような男女間の醜聞でもそれが、信徒約一千万人を以つて構成されると云う学会社会の教義教説の一例証として公共の利害にかかわり、いわば公共性を有する場合である。

云うなれば本件被告人こそその見地に立ち月刊「ペン」誌上において、学会社会のためのみでなく一般社会のため、男女問題を一例証とし乍ら、学会の教義教説に対する公正な宗教評論を展開してきたものであつて、その意図、内容において何ら学会などの誹謗そのものではない。

しかるに一、二審ともこれを理解せず、一方では男女関係の醜聞摘示が公共性なしとして、いわゆる目的の公益性や事実の真実性の立証をとりあげずに、他方で右醜聞の摘示即学会に対する名誉毀損の摘示の如く解したのは、理論的妥当性を欠くものであつて、被害人格の混同は許されない。

例えば、会社の役員某に対する名誉毀損即会社に対するものではなく、一家族の妻に対する名誉毀損即夫に対する名誉毀損とならないこと判例である。(例えば昭和八年八月一日大審院刑事判例集第一二巻一四〇三頁)

(二) しかも原判示には、創価学会それ自体に対し直接的特有な名誉毀損に該当すべき具体的事実の摘示がない。あるのは専ら教義、教説の批判論評である。

尤も前述の如く、「大罪犯す学会」など、月刊ペン誌上の見出しがあることは相違ないが、それは単なる形容詞的な見出しの文字に止り、男女間の醜聞問題以外には、宗教法人たる学会自体に対する具体的な名誉侵害的事実の摘示がなく、ただ抽象的、誇張的、批判的辞句のら列だけであつて、これでは学会に対する名誉毀損罪の構成要件該当性を充足するものではない。

しかるに一、二審判決の如く、これを以つて刑法第二三〇条所定の名誉毀損罪に問擬したことは、同法条の解釈適用を誤つた判決に影響を及ぼすべき法令違反で、刑事訴訟法第四一一条に則りこれを破棄しなければ著しく正義に反するし、他方「その行為に対し抽象的に批判の言辞を弄するのみにては、未だ本罪(名誉毀損罪)を構成するに足らず」とした大審院判例(大正十三年(れ)第八五二号事件、大正十三年七月一日大審院第一刑事部判決)にも反するものであつて、刑事訴訟法第四一〇条第一項に則り破棄せらるべきである。

<参考・原判決抄>

(東京高裁昭五三(う)第一八三六号、名誉毀損被告事件、昭54.12.12第五刑事部判決)

しかし、原判決挙示引用の各証拠をそれぞれ総合すると、被告人に名誉毀損の犯意があつたことはもとより被告人の所為が名誉毀損に当たると認定した原審の措置は、優にこれを首肯することができるのであつて、この点に反する被告人の原審及び当審公判廷における供述、捜査官に対する各供述調書の供述記載はたやすく措置しがたく、当審における事実取調べの結果に徴しても原判決の認定を動かすにたらず、原判決に所論のかしはない。すなわち、原判決は、池田大作ら各個人に対する名誉毀損が即「創価学会」の名誉毀損に当たるとは判示していないのであつて、創価学会に対する名誉毀損の事実として、被告人が「月刊ペン」の三月号及び四月号の各誌上に「四重五重の大罪犯す創価学会」、「極悪の大罪犯す創価学会の実相」との各見出しのもとに、その例示として、創価学会会長池田大作、同会婦人部幹部A、同Bらに関する不倫な男女関係の醜聞である原判示各掲載記事を具体的に摘示(以下、単に摘示事実という)して、それが同会会長、幹部らを中核として組織された創価学会に対する名誉毀損に該当するとしているものであることは原判決の認定、説示するところに照らして明らかであり、判決の「罪となるべき事実」の摘示としては必要にして十分であり、所論指摘の判例は、本件と事案を異にし、これをそのまま本件に適用するのは相当でない。しかも、原判決挙示引用の関係証拠によれば、被告人が、たとえ、宗教界を刷新する意図があつたにしても、池田大作ら原判示各被害者の社会的評価を低下させるおそれのある原判示摘示事実の内容を十分認識してこれを原判示のように執筆、掲載、刊行、販売、頒布することを認容していたことが認められるから、被告人に名誉毀損の犯意があつたことを明認するに十分であり、所論のように宗教界刷新の目的があつたからといつてその犯意がなかつたとはいえない(なお、記録、証拠を検討しても、被告人の逮捕、勾留につき、何ら違法の事実は認められない)。

そして、原判示事実、ことに、本件摘示事実が創価学会の教養批判の一環、例証としての指導者の醜聞の摘示であつたにしても、本件摘示事実は、原判決も認定、説示するように、創価学会会長池田大作らの私生活上の不倫な男女関係の醜聞を内容とし、その表現方法も不当な侮辱的、嘲笑的で、文体、内容も不確実な噂、風聞をそのまま取り入れ、または、他人の文章を適切な調査もしないでそのまま転写するなどして、一般公衆を対象とする雑誌にこれを執筆、掲載して広く一般社会に公表したものであつて、これにより一般公衆に対する警告あるいは社会全般の利益増進に益する等の効果は認められず、反面、右醜聞を摘示、公表された者の受ける名誉の侵害は重大であることなどを総合的に考慮すると、本件摘示事実を一般社会に公表することは公益上必要または有益であると認められないから、本件摘示事実は「公共の利害に関する事実」に係る場合に該当しないとして、公益目的及び真実性の有無を問うまでもなく、被告人の所為が刑法二三〇条の二の一項に該当しないとすることについて原判決が詳細に説示するところは、当裁判所ほこれを首肯することができるのであつて、かかる観点に立つ原審が、所論指摘の公益目的及び真実性の有無等の立証を許容しなかつたのは当然の措置であつて、何ら非難すべき点はない。

また、憲法二一条は、公共の福祉に反しない限度において言論の自由を保障するものであるところ、被告人の所為は、前認定のように公共の福祉に反し言論の自由を濫用したものであつて、かかる違法行為についてまで言論の自由を保障するものではないから、被告人の名誉毀損罪の成立を認めた原判決には、憲法二一条に抵触するところはない。

所論は、措信しがたい被告人の弁解を前提に原判決の認定、判断を非難するものであつて、採用しがたく、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例